本当はアレなんだ日記

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建築家市長は天恵か天災か?

インドネシアでは、建築家が市長になる例がいくつかあります。それってどうなんだ、という記事を翻訳しました。

 

元の記事

http://daenggassing.com/2013/10/10/walikota-arsitek-berkah-atau-musibah/

 

日本ではあまりないように思います。建設関係と政治が絡むとやっかいだからでしょうか。

翻訳はおおよそ正しいはずですがもし間違いがあったらすみません。

 

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建築家市長は天恵か天災か?

2013年10月10日 著:シャイフラー・AF

 

もし妨げがなければ、もうすぐマカッサルは建築家のバックグラウンドを持つ新しい市長に率いられることになるだろう。

 

マカッサルの首長選挙期間が先日、9月に終了した。地域一般選挙委員会の集計結果から、ダニー・ポマント(Danny Pomanto)とシャムス・リザル(Syamsu Rizal)のペアが2014~2019年のマカッサルの市長と副市長として任命される見込みのようだ。他の候補者の中には、今に至るまで憲法裁を通じて懸命に抗議を展開している者もいる。

 

ダニー・イチャル(Ical;リザルの愛称)ペアの支援者は、憲法裁の決定が出る前にもう祝杯をあげてしまった。同ペアが新しいマカッサル市長に任命されるまでの時間を待つばかりである。

 

ダニー・ポマントの建築家としてのバックグラウンドによって、多くの人が将来のマカッサル市について楽観的になった。彼らは、建築家という人は他の人よりも、より美しく、進んだ、近代的な街をつくる能力を持っていると信じている。まるで全てが立派な建物と数十億ルピアほどのプロジェクトから評価されるとでも言うかのように。

 

この数ヶ月前、バンドン市は市長として、マカッサル市よりも先に一人の建築家を選んだ。名前はリドワン・カミル(Ridwan Kamil)。支持を受けて市長になる前から彼は、街の発展のパラメーターとしての立派で豪奢な建物について考えるだけではない、理想主義的なひとりの建築家として、すでに国のほとんどあらゆる方向で有名だった。

 

リドワン・カミルはまた、バンドン市とその周辺で多くのサイドを取り込む共同体をベースとした動きにあらかじめ投資をした。したがって、彼はただ立派なプロジェクトを行い、実績として主張するだけの建築家ではない。だからバンドンの人はリドワン・カミルが市長になったのを見て喜んだのだ。彼らはこの建築家の姿に大きな希望を持っている。

 

スラバヤ市民もまた、自分たちの街が建築家のバックグラウンドを持つ市長に率いられるにあたって喜んでいた。市長の名はトリ・リスマ・ハリニ(Tri Risma Harini)。ITS(スラバヤ工科大)を卒業したこの建築家は、2010年からスラバヤの市長を務めている。比較的短期間だが、トリ氏はスラバヤ都市計画局長だったこともあり、スラバヤをより快適で、緑あふれる美しい街にした実績があるので、市民から愛されているのだ。

 

さてそれでは、2つの都市の最高指導者になった2人の建築家を、もうすぐマカッサル市の指導者になろうとしている建築家の姿と並べてみよう。ダニー・ポマントはリドワン・カミルやトリ・リスマのようになれると予測される。どちらも建築家という同じバックグラウンドを持っているから、きっとだ。

 

建築家市長はより良いか?

しかし、もし建築家に率いられたら、本当に街はより快適になるのだろうか?ジャカルタの人に聞いてみよう。ジョコ・ウィドド(Joko Widodo)が来る前、ジャカルタはひとりの建築家によって率いられていた。2008年、ファウジ・ボウォ(Fauzi Bowo; 愛称Foke)は専門用語をひっさげてジャカルタ市の最高の地位に登りつめた。彼が確かに都市計画の専門家としての教育を続けた建築家だということをかんがみて、その専門家に任せようということだった。

 

それからジャカルタは本当に「専門家氏」(または少なくとも専門家として認められている人)に手渡されたが、何が起こっただろうか?ジャカルタをファウジが率いた5年間、多くの変化はなかったようだ。ほとんど意味のあるパンチはなく、それどころか、ジャカルタはかえって厄介さを増したと言う市民もいた。

 

そして次にソロからジョコ・ウィドドがやって来た。質素なスタイルで、背が高く細身のこの男は、「専門家氏」の地位を奪うことに成功した。建築家のバックグラウンドを持つファウジ・ボウォはその在職期間、市民の心を奪うことはできなかった。建築家の称号は無駄になった。なぜなら結局ジャカルタは相変わらずだったからだ。

 

ファウジの生き方は、必ずしも建築家が市長になって成功するわけではないということの証明になった。きっと建築家が市長になることからの恩恵はあるだろう。彼は自身の教育的バックグラウンドに合致する都市計画分野について、他の人よりもわかっている。しかし、都市とは建物と設備に関することだけではないだろう?ましてや、もし建築家氏がイメージまでのところでやめてしまうのだとしたら?数十億ルピアの立派な建物を持てばひとつの新しい都市がみなされる、といった考えまででやめてしまうのだとしたら?

 

選挙期間中、ダニー・ポマトは自分の作品の成果をひけらかすのに忙しかった。アンジュンガン・ロサリ、テラプン・モスク、CPI、その他数々の立派な建物。そのすべてから、彼が立派な建物のようなアイデンティティが街づくりにとって大切だとみなしていることは明らかなようだ。建物はだんだんと立派になり、都市もだんだんと良くなるのだ。

 

全ての建築家は本来、機会を与えられれば立派な建物を設計することができる。マカッサルにはただひとりの建築家がいるだけではない。おそらく機会が広く開かれていないために、ダニー・ポマトただひとりがマカッサルで多くの立派なプロジェクトを自由なように設計し、建設しているのだろう。

 

もしこれから、いよいよ本当にダニー・ポマトがマカッサル市長に任命されたら、それは期待の時が訪れたということだ。彼が都市の表情をより人間的なものに変える建築家になることができるのか、あるいは都市の資産を近代化の名のもとに投資家たちに売るのに忙しい建築家になるだけなのか、待っていよう。

 

リドワン・カミルと比較して面白いのは、建築家という同じバックグラウンドを持つ市長が、すでに多くの人に信じられ、誉めたたえられてしまっていることだ。ダニー・ポマトもリドワン・カミルと匹敵する、ひいてはそれ以上になることができるだろうか?あるいはもしやダニー・ポマトはジャカルタのファウジ・ボウォの記録、つまり失敗した建築家市長としての記録と、肩を並べることになるのだろうか?

 

建築家市長が都市づくりにとっての天恵になるのか、あるいはかえって天災になってしまうのか、待ってみよう。どちらもまだ現実になりうる。それを証明するのは彼の一生懸命な意志と仕事だ。